腰が痛い。
後ろの半身左側、脇腹と背骨の間くらいの位置、筋肉が張った感じが続いてとても痛い。
原因は分かっている。
昔、子供を抱き抱えたまま後ろに倒れてしまった時に衣装ケースの角が背中に当たった部分が痛みの中心だからだ。
格好つけた言い方をすれば昔の古傷だが
とにかく今は腰が痛くてどうでもいい。
暑くても腰の痛みの緩和の為には仕方ないので
コルセットを付けている。
コルセットを付ける為には仕事着としては下はウエストに余裕のあるトラウザーズを履く。
靴下も途中で脱げたり、こんなタイミングで靴擦れなんかを起こしたくないのでフットカバーは履かずに少し深めのものを選ぶ。
上に着るシャツも外に出して着てもいいタイプを選ぶしかない。
靴を履くにも革靴は怖い…
ニューバランス一択である。
腰が痛い事を悟られたくないし、それを言い訳にもしたくない。
下にある物を拾うにも両足を曲げて腰を落とし、拾い上げてから腹筋と足の筋肉を総動員して上に上がる
なにせ腰が痛い。
月曜日にバーベキューに行った時に駐車場からクーラーボックスや荷物をカートに乗せて運んでいたら途中から砂利道に変わったところをカートごと抱えたのが間違いだったのだ。
その時は何も無かったが、とにかく今は腰が痛い
火曜日に借りていた本を両脇に抱えて図書館に返しに行ったのが間違いだったのだ。
その時はやや腰回りに筋肉が張った痛みがあったし、とにかく今は腰が痛い。
図書館では最近、手芸に興味を持った子供用に何冊かめぼしい本を手に取り、バーベキューで余った川魚の調理方法が載っている本を探しつつ、借りても毎回読む事なく返却している写真の構図や設定が書かれている本を抱えながらアート関連の棚でふと目に留まった本を一冊手に取った。
「草間彌生、たたかう」
【草間彌生作品大好き☆】とか言いながら本人のことは何も知らず、水玉とカボチャしか知らないままだったので「草間彌生、たたかう」を読み始めた。
内容としては草間彌生が送った1枚の手紙と2枚の水彩画をきっかけに1957年の渡米からの歴史を現在に向かって本人の言葉が当時の作品とともに綴られている本である。
今だからこそ水玉のイメージだが
渡米当初の作品は網の模様がそれであったようだ。
網の目1つを水玉として、無数に広がる網目の先は宇宙へと広がり、その先からまた網の目1つを水玉として自分自身を見つめるという。
理解は出来るが全く思考が分からない。
けれどもそれが芸術家なのだろう。
だから創作出来るのだろう。
彼女自身、自分の恐怖の対象をひたすら描き、作り続ける事で克服してきたと語っている。
作品のモチーフは彼女が恐怖の対象としていた物たちだったのだ。
たった一言。
このたった一言、一文を知ってから今後見る草間彌生作品の見方が変わってしまう。
これからはもう少し深く知りながら彼女の作品とたたかいを見る事が出来るのだ。
正直、体を動かしている日中はさほど腰は痛くないが夜が鈍痛、寝起きが一番痛い。
あと3日ほどはこの感じが続きそうだが
子供は夏休みの宿題とたたかっている
草間彌生もたたかっている
僕は腰の痛みとたたかう
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